定価 | : | 1,760円(税込) |
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判型 | : | 46判 |
体裁 | : | 並製 |
頁数 | : | 304頁 |
ISBN | : | 978-4-7612-7460-3 |
発行日 | : | 2019年12月18日 |
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スター・ウォーズ 善と悪の哲学
読者様の声
- スター・ウォーズが好きだから購入。(53歳男性・会社員)
- スター・ウォーズが好きなので買いました。「哲学」の視点からスター・ウォーズを見たのは初めてでした。(28歳男性・サービス業)
- スター・ウォーズのファンです。場面を思い出しながら、とても楽しく読みました。哲学書としても読みやすく、もう一度映画を確認したいと思いました。(女性・教育/研究者)
- スター・ウォーズが好きで、スター・ウォーズにかかわる本をよく読む。この本は非常におもしろい。(60歳男性・会社員)
- スターウォーズファンなので。(19歳男性・学生)
- スター・ウォーズが好きで、本書を読んで物語の奥深さに触れ、もう一度映画を観たく成りました。(44歳男性・事務職)
- 40年間ずっと、スターウォーズのファン。最終作の映画公開と合わせて昔を振り返る本書を読みたくなった。(62歳男性・事務職)
- さまざまな角度から見た哲学が書いてあって面白かったです。現代ならではの視点の哲学。素晴らしい本だと思います。ありがとうございました。また、このような本をぜひ読みたいです。
- 世間を賑わせるエンターテインメントには、隠された秘密があると思っています。そこには、ある本質が隠れています。それを、スター・ウォーズという世界的にも傑作だといわれる映画を元に哲学する発想がまずステキです。具体的な映画の場面から、その考え、思想を哲学者の考えと関連付けて語る。ポップに入って、気付くと深みにいるような。井上ひさしの「易しいことを深く」という言葉を体現したような本でした。
内容紹介
スター・ウォーズには哲学がある。
ヨーダやオビ=ワン・ケノービの言葉には、哲学や智慧の教えが含まれている。
そこには東洋哲学の片鱗が見える。フォースには仏教や道教を思わせる部分があるが、スター・ウォーズに神はいない。だからエンターテインメントとして楽しめる。
ジェダイの教えは禅や武術に通じる。つまりフランスのデカルト的合理主義の対極にあるものだ。デカルトを筆頭に西洋哲学は理性を重んじ、真実の追究を目指してきた。
セオリー、つまり理論的であろうとすると実生活から遠ざかってしまうものだが、スター・ウォーズの哲学は行動に結びついていて実践的だ。
そういう意味では、古代哲学のストア派やエピキュリズムに近いともいえる。
これらの古代哲学は幸福になるための正しい暮らし方を説くものだった。
幸せになるにはどうしたらいいのか。どのように考えればいいのか。
いや実際には、考えないほうがいい。これも西洋哲学とは大きく異なる点である。
デカルトの哲学は「我思う、ゆえに我あり」に集約されている。
一方の東洋哲学、そしてジェダイの哲学は「邪念を捨てる」ことに終始する。
幸福になりたければ、考えるのはやめて「感覚」を大事にすべきなのだ。
古くから同じ命題が問いかけられてきた。まず「死の神秘と恐怖」。
生き方や死に方についての議論は絶えない。
智慧はまず死を受け入れよと説く。そして自制も大事だ。ダース・ベイダーのようにおのれの欲望を暴走させてはいけないのだ。
「善と悪」も永遠の命題だが、フォースの暗黒面を見れば、善悪が表裏一体であることも明らかである。
こうして我々は、いやがうえにもスター・ウォーズによって思考を余儀なくされる。映画が投げかけてくる問いに対して、自然に考えさせられるようになっているのだ。しかもその問いは、我々自身の人生や世の中の問題と結びついている。
でも、だからといって映画を観ただけで答えが明らかになるわけではない。
スター・ウォーズで哲学する本書の役割は、ここにある。
スター・ウォーズが投げかけた問いを、考える際の手引きになるのである。
目次詳細
EPISODEⅠ 「お前の父だ」 人は自由なのか、運命は絶対か
EPISODEⅡ 「フォースのダークサイド」 悪はどこから来るのか
EPISODEⅢ 「戦争で偉くなったものはいない」 戦争は善か悪か
EPISODEⅣ 「フォースと共にあれ」 剣と哲学
EPISODEⅤ 「こうして自由は喝采のなかで死ぬ」 最良の政治システムとは
EPISODEⅥ 「君の信仰の欠如には困ったものだ」 宗教は消滅すべきものか
EPISODEⅦ 「野蛮なやつらめ」 技術は恐れるべきものか
EPISODEⅧ 「2つの顔と2つの名をもつ者」アイデンティティの問題
EPISODEⅨ 「あなたなんてきらいよ」 多様性は社会の障害となるのか