雑誌や新聞、講演など、私があちこちで話していたことが記事になったことはありましたが、自分で本を書くつもりなんて全くありませんでした。今回は、担当編集者に依頼されたから書いた、というのが正直な理由です。依頼がなければずっと書かずにいたでしょうね。
でも本当のところは、ずいぶん昔に何度か依頼があったんです。手塚が亡くなったばかりだったり、忙しかったりで、お断りしていました。
手塚治虫が亡くなってから、25年が経ちました。そういう意味ではちょっとぐらい、私も話しておいてもいいのかなぁと。
本書の中でも書きましたが、当時は忙しくて腹の立つことが多かったけれど、後になってみるとその言葉の一つひとつにうなずくことが多くなる歳になりました。
著者インタビュー

松谷孝征先生は手塚治虫氏の担当編集者となったことが縁で、手塚プロダクションに入社し、手塚治虫氏が亡くなる16年間マネージャーを担当されました。本書は自身初となる著書。手塚治虫氏との日常会話の中から抽出した言葉を集めました。著書について、手塚プロダクションでお話を伺いました。
『手塚治虫 壁を越える言葉』は松谷孝征さんにとって初めての著書になります。どんな想いで執筆されたのでしょうか。
手塚先生が亡くなる直前までマネージャーをつとめたと聞きます。最後まで一番近くで手塚先生の側にいてなにを感じましたか。
私が聞いた手塚治虫の最期の言葉は「頼むから仕事をさせてくれ」でした。本当に仕事、仕事、仕事。仕事をすることが使命のような人でした。
私は、仕事なんて好きじゃないし、大半の人間はそうですよね? 手塚は最後の最後まで仕事のことを考えていました。それほど漫画やアニメが好きだったのもあると思いますが、そればかりではなく、やはり子どもたちにあらゆる命の大切さ、戦争の悲惨さ、平和の尊さなど、自分のメッセージを伝えなくてはいけない、という使命感のようなものがあったんじゃないかと思います。私たちにはとうてい想像できないような戦争体験があって、そういった体験が非常に大きな原動力になったんだと。

当時は手塚が亡くなった悲しみと、これからどうしていけばいいのかと途方に暮れていたので、そんなSFめいた言葉をもらってカチンときたんですが、手塚の仕事量を考えたり、描いてきたものを読み返すと、確かにこんなことは宇宙人じゃなきゃできないなと思うようになったんです。使命感に駆られていなければ、とてもじゃないけど、あんな内容、そして作品量はつくれなかったでしょう。今でも、その弔電をくださった方には、頭を下げたいと思っています。
本書をどんな方に読んでほしいと思いますか。
もちろん手塚ファンに届けたいですね。もう少し時間があれば、私は本文に注釈というか茶々を入れたかったんです。ここにはこう書いてあるけれど、実際はこうだった、ふざけんじゃねぇよとかね(笑)。でも、手塚ファンだけでなく、大人から子どもまで幅広く読める内容だと思うので、これでよかったのかな。だた、コミックに比べるとこの本は値段が高すぎるね(笑)。
確かにコミックスと比べればそうですが…(笑)、でもそれだけの価値のある本だと思います!では、本書の執筆中に一番苦労した点は?
苦労したというか、一番気にしたのはご遺族がどう捉えるかですね。もちろん、手塚の印象が悪くなるような内容はありませんが。だから面白くないかもなぁ(笑)。それと、自分があまり前に出すぎないようには気をつかいました。
松谷さんは、実業之日本社に入社され『漫画サンデー』の編集者でした。元編集者として、本書の編集者とのやりとりはどうでしたか?
私が編集者だった時代は、メールもFAXもない時代でしたから、対面の1回で打ち合わせもすんでしまう。目の前にいるから相手の意見も聞きやすいしね。いまはメールでやりとりができるから会わなくても仕事ができるけど、本書の担当編集は何度も私のところへ通ってくれて一生懸命やってくれました。まあ、本当はメールがほとんどでしたが……なんて(笑)。海外の出張などバタバタしているときだったので、編集者には苦労をかけました。
そう言っていただけると担当編集も喜びます。本書で一番好きな言葉をひとつ教えてください。
P58の「いやあ、すみません」です。パーティーがあると、相手は手塚のことを知っているけど、手塚は、相手の顔は知っているけれど、名前が出てこないことがよくありました。名前が思い出せないので、手塚が笑顔で「いつもすみません」と言うと、それだけで通じるんです。会う相手は大体被害を受けていますから。いかにあちこちで迷惑をかけていたかという話ですね(笑)。私もその笑顔と「すみません」という言葉にやられて、出そうと思っていた辞表を出せずじまいだったことも――。この話も本書にあるので、ぜひ読んでみてください。私も当時、「すみません」をよく使っていましたよ。
最後に、個人的にオススメの本があれば教えてください。

『火の鳥』や『ブラック・ジャック』など名作と呼ばれるものはたくさんあるので、読んでない方がいればぜひ一度読んでいただきたいと思います。私個人が好きなのは、ゲーテの『ファウスト』を時代劇仕立てにした「百物語」という短編です。「ライオンブックス」というタイトルでシリーズが出ていて、そこに収録されています。短編にしてはちょっと長いですけど、大好きです。他の短編は30~40ページにまとめていますが、『ブラック・ジャック』は毎週読み切りで20ページに収めていたんだから、信じられません。毎週感動させて。
手塚治虫は短編作品づくりの名人だったんです。