文/山岸美夕紀 撮影/榊智朗
職場で共に働く部下・スタッフの仕事と生活の両立、つまりワークライフバランスを考え、支援する経営者・管理職などのことです。育児参加・育児休業取得の支援なども含まれます。活動を進める中で、企業の制度が整っていなかったり、たとえ制度があったとしても上司や周りの理解がなく取得しにくい雰囲気であるなど、育児世代の男女が「やりづらさ」を感じている現状が見えてきました。
そんなボトルネックを解消するために、「イクボスが増えれば、社会が変わる。」をスローガンに2014年より「イクボスプロジェクト」をスタートしたのです。
イクメンの上の世代である“ボス”たちの意識や旧い価値観を変えることが、「女性活躍」「男性の育児参画」「介護離職」といった問題の解消につながると考えています。
それはもうメリットづくめですが、まずひとつに挙げられるのは、人材育成面において。たとえば、育休を経て戻ってきた男性社員たちの生産性が格段にアップするということは、お茶の水女子大学の石井クンツ昌子教授による学術調査でも明らかになっています。
私たちFJも協力したこの調査では、男性が育児休暇を取得することによって、さまざまなポジティブな結果が得られたというデータが出ているんですね。
仕事の面でいえば、能力がアップし、労働時間が短くなるにもかかわらず成果が上がる。当然ですよね、「育児」という過酷な仕事の中では、あらゆる能力をフル活用しなければならないわけですから。たとえば段取り力が身に着くし、タイムマネジメントがうまくなるし、リカバリー能力、コミュニケーション力が身につく。聴く力、伝える力、想像する力、共感する力、諦める力などが一気に強化されるわけです。
企業側としては、育休を取ってもらうだけで、それらすべてを自然と身につけて“鮭の川上り”のように成長して戻ってくるのですから、こんなにいいことはありません。育児は、あらゆる研修に勝るトレーニングではないでしょうか。
実際、私たちFJ会員のパパたちは半年以上の育休を取得した企業第一号ばかりですが、育休復帰後は、みんな営業成績が上がっているそうです。
ひと昔前とは社会状況がまったく違います。正社員で働いていたって、右肩上がりに給与が増えていく、という時代ではありませんからね。日本は生活や教育コストが高く、現在の相対的貧困率は16%。6人に1人の子どもが貧困といわれています。都市部で暮らすには共働きせざるを得ない家庭も多いわけで、男性の育児参加は当然の流れなのです。
そういった現状を捉え切れておらず、考え方が古い人も多いのですが、そういう人はただ「頭のOSが古い」だけ。OSさえ入れ替えれば変わります。
私も“ウィンドウズ95”の頭でやっていた当初は苦労しましたが、アップデートのスイッチを入れることができたおかげで、今こうした活動ができるようになっているわけです。
いわゆる昔ながらの「激ボス」にも、ぜひ「イクボス」のメリットを理解してもらい、スイッチを入れてもらいたいと思っています。
そうですね、でも変わりつつありますよ。もうダイバーシティ(多様性推進)、女性活躍なくしては勝てない、社員のワークライフバランスを考えなければ業績は上がらない、と感じはじめている経営者が増えてきています。
先日、FJが運営する「イクボス企業同盟」に加盟したカルビーは、約7年前から大きな働き方改革を推し進めていますよね。大和証券も「19時前退社」を励行しましたし、三越伊勢丹はいよいよ正月三が日の休業を決めました。このような企業によって、社員の暮らしの満足度の向上が生産性向上につながることがすでに証明されているんです。
7期連続増収増益、わずか5年で利益率が10倍にもなっているカルビーの会長が、働き方改革やイクボスの必要性を言うわけですから、ほかの企業も「これから目指すべき経営の方向はそっちなのだな」と思いますよね。そういうわけで、今、FJの「イクボス企業同盟」へ加盟したいという企業は増えています。
今年は国会でも、長時間労働の是正、同一労働同一賃金などに関して様々な改革が断行されるでしょう。決められた上限規制に違反したら企業に家宅捜索が入るという形になる。本当に劇的に変わると思うんです。今変わらなければ、日本は、長時間労働で過労死を出す国、男性がまったく育児できない国であり続け、人口がどんどん減っていく一方ですから。
人材採用という視点で見ると、現在の15歳以降はさらに急激に人口が減り、それ以降の新卒は超売り手市場になります。そうなったらどこが勝つか。働きやすい会社が勝つんですよ。もう、企業ブランドのネームバリューがあれば黙っていても人が集まるという形ではなくなる。
今、東大や京大法学部の優秀な学生は霞が関に行かないそうですね。都市計画や大型イベントを自分で仕切れる地方自治体や、マッキンゼー、アクセンチュア、三菱総研などに行った方が給料も環境もずっといいわけで、同じ頭を使うのであればそっちのほうがいいというわけです。
9種類の働き方が自由に選べる制度で有名なサイボウズの青野代表取締役社長などは、「負ける気がしない」と言っていますよ。大手企業からどんどん優れた人材が転職してくるそうです。ダメな人は会社にぶら下がってしまうけれど、優秀な人は辞めて働きやすい会社に行くだけですから。
先日、ヤフーが新卒一括採用制度を廃止したように、これからは、企業の人に関する制度もどんどん変わっていくでしょう。
もはや経営戦略です。イクボスという取り組みの目的は、部下だけでなく社員の誰もが働きやすい環境をつくるということですが、それはすなわち、イクボス自身のワークライフバランスにも直結します。将来、自分の親が倒れたときなどに介護をしながら働き続けられるわけですから。
それに、今は私たち世代が社会を支えていますが、じきに私たちの子どもの世代にお世話になる番になります。これは人間界では自然の摂理で、循環システムです。そういう意味でも、部下たちの働く環境を整えることは未来の自分自身の生活を整えることと同義であるわけです。
FJでは、この「社会の循環システム」の中心にパパがいるのだ、と言っています。目先のことだけではなくて、30年、50年先の我々の社会を想像し、子どもたちの未来をよくしていくためには、父親として、あるいは上司として何をしていけばいいか。男性って、そういった“ビッグピクチャー”が必要なんですよね。「顕微鏡的視点」ではなく「望遠鏡的視点」を持つべきだと、私は世の父親たちに伝えています。
それに今は、仕事一辺倒の激ボスよりも、ワークライフバランスの取れた上司の方が、部下からモテますよ。地域での集まりやボランティア、趣味など、職場と家以外の“サードプレイス”を持っている上司が部下から慕われるんです。
管理職になりたがらない若者が増えていると、全国を回っていると痛感します。「こんな上司になりたい」というロールモデルがいない。現代の理想の上司は、仕事にもやりがいを持ち、サードプレイスもあり、ワークとライフのハッピーなバランスを見つけている人なんですね。そんな上司が増えれば、若者たちも希望が持てると思いますし、ボス自身の定年後も充実したものになると思います。
後編では、世界の取り組みや、具体的な研修の内容などについてお聞きします。
1962年東京都生まれ。妻と長女(97年生)、長男(2000年生)、次男(08年生)の5人家族のパパ。
明治大学卒業後、出版社、書店、IT企業など9回の転職を経て、06年パパの育児支援を行うNPO法人ファザーリング・ジャパンを設立、代表就任。企業・一般向けのパパセミナー、絵本の出張読み聞かせ活動「パパ’s絵本プロジェクト」などで全国を飛び回る。
娘と息子の通った保育園、学童保育クラブの父母会長、公立小学校のPTA会長を務めた。現在、厚生労働省「イクメンプロジェクト」推進チーム座長、内閣府・男女共同参画推進連携会議委員、子育て応援とうきょう会議実行委員、にっぽん子育て応援団団長などを務める。
著書に『パパの極意』(NHK出版)、『パパの危機管理ハンドブック』(ホーム社)、共著に『絵本であそぼ!』(小学館)などがある。新聞・雑誌への連載・寄稿、テレビ・ラジオ出演多数。